年表用語説明

勅祭社宮司会

GHQの「神道指令」が発せられた後、昭和25年皇室と神社との疎遠が憂慮されていた当時、幸いにも勅祭社には、皇室から戦前と同様、例祭にあたり勅使が派遣され、幣帛が奉奠されていた。それ故、熱田神宮宮司長谷外余男は、勅祭社の宮司として、天皇陛下に一言でも御礼を言上したく、当時掌典長の甘露寺受長(後の第6代明治神宮宮司)に相談を持ちかけた。かくして進駐軍の監視の厳しい最中、甘露寺の便宜によって、同年5月5日、長谷熱田宮司・秋岡神宮少宮司・徳大寺平安宮司・平田近江宮司・額賀香取宮司・有賀氷川宮司・東鹿島宮司・副島石清水宮司・高階橿原宮司は、非公式ながら、宮中賢所候所の向かい側にあった生物学御研究所の玄関前にて、天皇陛下への拝謁が適った。天皇陛下の励ましのお言葉に、一同感激の極みにあったという。翌昭和26年、勅祭社宮司等は、再び天皇陛下に拝謁した後、永田町の料亭で、拝謁の便宜を図ってくれた掌典長以下宮内省関係者をお招きして答礼の微意を表した。これが、勅祭社宮司会の起こりである。

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