年表用語説明

鷹司信輔

明治22年4月29日、旧五摂家鷹司凞通公爵の長男として出生。大正7年6月、鷹司家の当主となり、公爵を襲爵、貴族院議員となる。昭和10年3月に華族会館館長に就任。昭和15年9月に宮内庁宗秩寮審議官を拝命。昭和19年8月に第5代明治神宮宮司に就任。終戦迄、明治神宮の奉護に専心した。昭和21年3月、設立されて間もない神社本庁統理に就任。実質上、最初の統理として、25年、28年、31年の各任期満了に伴う改選の際にも再選された。明治神宮宮司としては、御鎮座三十年祭の斎行をはじめ、明治神宮外苑境内地の返還や、本殿以下の復興・奉賛事業等に尽力した。33年10月、遂に御復興遷座祭が斎行されるに至ったが、遷座祭を前にした7月に病に倒れていた為、鷹司は、社務所にて斎主伊達権宮司を見送り、遥拝したと伝えられる。享年69歳。