年表用語説明

一條実輝

慶応2年(1866)、四條隆謌の7男として生まれ、昭憲皇太后の御生家である一條家を継いだ。明治17年(1884)に公爵を授けられ、同年、海軍兵学校に入学。20年(1887)に卒業。22年(1889)に海軍少尉、41年(1908)に海軍大佐に進級し、同時に東宮侍従長に任ぜられた。大正以降は掌典次長・宮中顧問官等を歴任し、昭憲皇太后の大喪儀では、大喪儀祭官長を務めた。明治神宮の鎮座にあたり、初代宮司に就任。宮司就任にあたっては、昭憲皇太后の御生家の当主であるとともに、人格・閲歴・声望ともに申し分なく、明治天皇の御信任厚く、特に思召により、海軍大佐の職を退いて東宮侍従長に任ぜしめられた経歴によるところが大きい。また掌典次長であった経験から、祭式にも熟達していた。明治神宮宮司は名誉職であったが、一條宮司は毎週土曜日には必ず出勤して熱心に奉仕し、さらに週間の社務の状態や収支の報告を聴取していた。大正13年7月、現職のまま薨去。