年表用語説明

青年団の造営工事奉仕

田澤義鋪(明治神宮造営局総務課長)の立案によって急遽計画されたもの(物価高騰により労働力が確保できなかった為)。当初は技師たちの反対に遭ったが、大正8年10月15日、静岡県安倍郡有度村(現在の静岡県静岡市)の青年団50名が、試みに10日間の勤労奉仕をしたところ、彼らの活躍が認められ、実施が決定された。以後、青年団による造営奉仕は全国に及び、大正11年12月まで、延べ人員10万余名に上った。このことを契機にして大日本連合青年団が結成、外苑に日本青年館が建設される。