年表用語説明

東郷平八郎元帥の葬儀

昭和9年5月30日に薨去した東郷平八郎元帥の葬儀は「国葬」で営まれることが決定し、その葬儀委員長には、元帥と生前親交が深かった有馬宮司が任命された。しかし、現職の官幣大社宮司が葬儀委員長になることは、明治15年1月24日の内務省達乙第7号(官国幣社神官の葬儀不関与)の規定に抵触するとの議論を惹起した。これは最初、有馬宮司の葬儀委員長就任を承諾していた石田馨内務省神社局長が、秋岡保治権宮司・宮地直一の意見によって前言を翻し、反対に回ったことに端を発する。内務省は更迭を要望したが、結局、葬儀終了まで現状のままとし、6月5日、何等紛擾も生じず国葬が執行された。翌日、有馬宮司は「国葬中ノ主タル祭儀」が終了したので、「今後専ラ明治神宮ノ奉仕ニ相勉」めたいとの理由により辞表を提出。十日祭終了後の6月8日、有馬宮司は葬儀委員長を免ぜられた。この「葬儀委員長」問題は、「一部ノ神事関係者間ニ於テ注目セラレタルニ留リ、新聞紙上ニモ何等問題化セズシテ終」(国立公文書館所蔵『故元帥海軍大将侯爵東郷平八郎国葬記録』一)ったが、葬儀への関与が実質的に制限されていた神社界に大きな波紋を呼び起こし、内務省達乙第7号の撤廃運動が強く主張されるとともに、神職の葬儀関与をめぐる論議が活発化する契機となった。