年表用語説明

明治神宮競技大会

大正13年から昭和18年まで、明治神宮外苑のスポーツ・体育施設を主会場として開催された競技大会。外苑競技場の構想に関わった嘉納治五郎によれば、国際オリンピック大会の日本国内版として構想された。第1回大会は、奉納競技会として、大正13年10月30日から11月3日まで、内務省主催で開催。大正15年9月14日、明治神宮体育会が設立され、同会主催の下、「明治神宮体育大会」に名称を変更して、第3回大会を開催した。昭和2年5月、同会は「規約」を制定し、競技種目を22種目と定め、同4年10月27日、総裁に秩父宮雍仁親王殿下をお迎えして第5回大会を開催した。体育会の主催は、昭和12年まで続くが、同14年の第10回大会より厚生省が主催となり、名称も「明治神宮国民体育大会」に変更。さらに昭和17年の第13回大会より、「明治神宮国民錬成大会」に名称が変更になり、これが外苑で開催された最後の大会となった。第14回大会(昭和18年11月17日)は、各地方別に開催された。明治神宮競技大会は、新興の運動競技種目や関連産業の振興にも寄与したばかりでなく、戦後の「国民体育大会」の開催にも大きな影響を与えた。